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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)2981号 判決

原告

大石忠助

右訴訟代理人

耕修二

被告

武蔵野信用金庫

右代表者代表理事

杉之尾幸平

右訴訟代理人

小林澄男

萬羽了

右訴訟復代理人

苅部省二

森川正治

被告

小越嘉一郎

右訴訟代理人

多久島耕治

刀根国郎

主文

一  被告小越嘉一郎は、原告に対し、別紙物件目録記載(一)ないし(三)の各土地及び同(四)の建物について、東京法務局昭和五〇年一〇月七日受付第一八三九一号根抵当権設定登記及び同法務局同日受付第一八三九二号停止条件付賃借権設定仮登記の各抹消登記手続をせよ。

二  原告の被告武蔵野信用金庫に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告武蔵野信用金庫に生じた費用を原告の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告小越嘉一郎に生じた費用を同被告の負担とする。

事実《省略》

理由

第一被告金庫に対する請求

一請求原因について

請求原因事実〈編注・本件土地建物が原告の所有であること〉については、いずれも当事者間に争いがない。

二抗弁について

1  抗弁1(契約締結)について

(一) まず、被告金庫との本件契約が美代子において原告の代理人として締結したものであるのか、それとも原告を装つた岡橋が原告本人として締結したものであるのかについて検討する。

(1) 〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

原告の妻である美代子はかねてから宝石ブローカーの訴外荻原慎一に原告に無断で宝石買付資金として多額の金員を貸し付けていたが、その返済を得られないため困惑していたところ、荻原から香港で安く買い付けた宝石を日本国内で売り、それによつて得た利益で右貸金を返済したい、ついてはその買付資金を調達して欲しいと懇請され、昭和五〇年三月中旬、荻原の香港での宝石買付資金約三〇〇〇万円を、荻原の友人である元被告金庫職員及川昌宏の紹介により、原告所有の本件土地・建物を原告に無断で担保にして被告金庫から借り受けることにした。同月二四日、及川と美代子は、被告金庫本店を訪れ、同店次長堀端伸佳に面会して、原告名義で五〇〇〇万円の借入を申し込み、右借入金は原告夫婦の息子のために長崎県南松浦郡所在のホテル敷地を購入した代金の支払や本件建物内の店舗改装費などに必要なものであること、担保として本件土地・建物を提供すること、本件建物内では原告が喫茶店、サウナ及び麻雀店を営んでいるが、原告は尺八の先生をしており忙しいので、営業はすべて妻である美代子に任されていることなどを説明した。そして、美代子が原告から承諾を得てきたかのように装つて原告を借主、美代子を連帯保証人とする五〇〇〇万円の借入申込書をその場で作成し、同人が持参した原告及び自己の実印を押捺した。翌二五日又は二六日、美代子が再び右本店を訪れ、担保となる本件土地・建物の登記簿謄本及び固定資産課税台帳登録証明書を堀端次長に提出し、更に、その前後ころ、前記購入に係るホテル敷地の売買契約書なるものも提出した。同月二六日夕刻、堀端が担保となる本件土地・建物及び同建物内で原告が営んでいる営業の調査等のために本件建物内の原告宅を訪れたが、その際にも美代子が応対し、「原告は尺八の教室をいくつも持つているのでいつも不在である。」などと話し、営業は実際には美代子が行つているかのように見せかけ、本件建物の建築図面や各店舗の売上帳及び納税関係書類などを堀端に見せて説明した。堀端は、美代子に対し、原告本人も一度は被告金庫に顔を出すよう言い置いて帰つたところ、翌二七日、美代子、及川が原告本人を装つた岡橋往孝を同道して被告金庫本店を訪れ、堀端及び同本店長佐藤力三郎に対し原告である旨紹介し、岡橋は妻が世話になつている旨挨拶した。その席に借入に必要な信用金庫取引約定書、本件土地・建物についての根抵当権設定契約証書及び額面五〇〇〇万円の約束手形の各用紙が用意されたが、原告本人を装つた岡橋はこれらの書類を閲読したり借入について説明を求めたりすることは一切せず、美代子に任せきりにしている態度をとり、右各書類の作成は専ら美代子と堀端が話し合いながら進め、原告欄の署名押印も美代子がした。この間、原告本人を装つた岡橋は佐藤店長と民謡等の雑談をしており、作成された書類を検することもなかつた。翌二八日、美代子が連帯保証人としての自己及び粟野和夫名義の印鑑登録証明書を被告金庫に届けた。

一方、被告金庫では、以上のような借入申込、面接、現地調査の状況ないし結果及び提出書類等に基づき、禀業に付したうえ同月二九日に貸付を決定し(これによつて本件契約が成立した。)、同日、原告名義の被告金庫普通預金口座に四七六二万七〇六二円を入金して、本件契約に基づく貸付を実行した。この契約の成立に至る経緯において、被告金庫の担当者である堀端次長は、名義人である原告が尺八の先生をしているとのことであり、本件建物における営業は美代子が原告に代わつて行つているものと判断されたことから、実質的な借入の交渉相手は美代子であるとの認識を一貫して有しており、同月二七日に原告本人を称する岡橋が同席した際に契約書を作成したのも、単に、美代子との間で最終的な取決めをするについて本人の承諾を確認しておくというだけの意味しか認めていなかつたものである。

以上のとおり認められ、前掲各証拠中これに反する部分は信用することができない。

(2) 右認定の事実によれば、被告金庫との本件契約は、美代子が原告を代理して締結したものと認めるべきであり、契約書作成時に原告本人を装つた者が同席していたとの一事のみで右代理行為の存在を否定することは相当でない。他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

(二) 次に、前記のとおり美代子が作成して被告金庫に差し入れた乙第二号証によれば、被告金庫との本件契約によつて設定された根抵当権の内容は抗弁1記載のとおりであることが認められ、〈証拠〉に弁論の全趣旨を合わせると、請求原因第二項記載の根抵当権設定登記は右本件契約に基づいて経由されたものであることが明らかである。

2  抗弁2(美代子の代理権)について

(一) 原告が本件契約当時本件建物内において喫茶店、サウナ及び麻雀店を営んでいる商人であつたことは当時者間に争いがない。そして、〈証拠〉を総合すれば、原告は昭和四九年一月から昭和五〇年四月までの間、結核で東京都清瀬市の国立療養所に入院していたこと、その間、ときには原告が帰宅することがあつたものの、普段は美代子と二四歳の長男とで右営業を切りまわしており、日々の売上伝票の管理、集計、記帳及び日常的な仕入れ、支払い、取引銀行との当座取引等の業務は美代子が行つていたこと、右入院中原告は妻美代子を全面的に信頼していたものであることが認められる。

右の事実からすれば、本件契約当時、原告は美代子に対し、前記営業に関する事項のうち少なくとも日常的な範囲の業務執行についてはこれを委任し、必要な代理権を与えていたものと推認することができる。右認定に反する証人大石及び原告本人の各供述は信用することができない。

(二) しかし、本件契約は、前記のとおり、美代子が秘かに荻原に宝石買付資金を融通してやるために締結したものであつて、原告の前記営業とは全く無関係な行為であり、美代子の有する(一)記載の代理権の範囲内のものであるとはとうてい認めがたい。そして、他に本件契約の締結につき美代子が原告を代理する権限を有していたことを認めるべき証拠はない。

したがつて、抗弁2は理由がない。

3  抗弁3(代理権授与表示による表見代理)について

本件全証拠によつても、原告が被告金庫との本件契約の締結につき美代子に代理権を授与する旨の表示をしたものとは認めることができないから、抗弁3も理由がない。

4  抗弁4(権限踰越による表見代理)について

(一) 本件契約当時、美代子が原告の営業に関し日常的な範囲の業務執行について原告を代理する権限を有していたことは2(一)で述べたとおりである。

(二) 次に、〈証拠〉によれば、被告金庫担当者は、本件契約を締結するに際し、美代子が原告から同契約締結の代理権を与えられているものと信じていたことが認められ、これを動かすに足りる証拠はない。

(三) そこで、正当理由の有無について検討を加える。

(1) 既に認定したとおり、美代子は、原告の妻として、被告金庫の元職員及川の紹介により本件の借入申込にきたものであり、借入金の使途は息子のための土地購入代金の支払などという名目であつた。当時、原告は本件土地・建物を所有して喫茶店、サウナ及び麻雀店を営んでいたこと並びに右購入に係る土地の売買契約書が提出されたことなどからすれば、右借入申込自体は格別不審を抱かせるようなものではない。

原告は、右借入金の実際の使途が投機目的による宝石購入資金であることを被告金庫が知つていたと主張し、証人大石及び同伊藤はこれにそう供述をするが、本件契約の交渉過程で美代子側から被告金庫に右土地売買契約書が提出されている事実及び右のような投機的使途が明らかになつた場合には一般に金融機関としては職員が殊更に意を通じている等特段の事情のない限り貸付を拒絶するのが通常と考えられるところ、本件において右特段の事情を認めるに足りる証拠はないことなどを考えると、信用することができない。

(2) 既に認定したとおり、美代子は本件契約の交渉過程において、原告は尺八の先生をしており忙しい旨説明し、あたかも原告の本件建物における営業は美代子が任されているかのように振舞い、昭和五〇年三月二六日夕刻、堀端が本件契約の担保物件である本件土地・建物の確認等のために本件建物内の原告方を訪れた際にも美代子が応対し、各店舗の売上帳などを見せて説明した。そして、証人堀端の証言によれば、同人が営業状態を見分したところでは、美代子が実際に原告の前記営業を切りまわしている様子がうかがわれ、美代子の言動に疑いを抱かせるふしはなかつたことが認められる。

(3) 〈証拠〉によれば、美代子は本件契約に関し、原告名義の借入申込書、信用金庫取引約定書、根抵当権設定契約証書、約束手形、委任状等を被告金庫に差し入れたが、これらに押捺されている原告の印鑑はいずれも原告の実印であること、また、右印鑑の印鑑登録証明書及び本件土地・建物の登記済証も被告金庫に提出されたことが認められる。

原告は、原告の右印鑑登録証明書が被告金庫に提出されたのは、本件契約が成立し貸付が実行された同月二九日の二日後である同月三一日である旨主張しており、証人大石、同伊藤及び原告本人はいずれも同旨の供述をしているが、各供述には食い違いがあつてたやすく信用しがたい一方、乙第一号証の美代子の氏名が同人の自署によるものであることは証人大石及び同堀端の証言により明らかであり、これと乙第二八号証の美代子の氏名とを対照すると、その筆跡は同一であることが肯認できるので、乙第二八号証の払戻請求書は美代子の作成に係るものと推定できること、証人堀端の証言により本件のような初めての取引の場合に相手方が作成した預金の払戻請求書を被告金庫において預かることはまずあり得ないと認められること、〈証拠〉によると被告金庫では遅くとも貸出実行時には借主の印鑑登録証明書が提出されない限り貸出は実行されない建前になつているものと認められること及び本件において右建前と異なる取扱いがなされたものとする特段の事情は認められないことなどにより、右印鑑登録証明書は、本件契約が成立し、それによる貸出が実行された同月二九日、美代子がその貸付金を受領するために被告金庫本店に赴き、右払戻請求書の作成等の手続を行つた際に、被告金庫宛に提出されたものと推認することができる。右認定に反する証人大石、同伊藤及び原告本人の各供述はいずれも信用することができない。

(4) 既に認定したとおり、同月二六日夕刻堀端が本件建物内の原告方を訪れ美代子に面会した際、原告本人に会うことができなかつたため、一度原告本人が被告金庫に出向くよう美代子に求めたところ、翌二七日、美代子及び及川が岡橋を被告金庫本店に同道し、同人をあたかも原告本人であるかのように店長及び堀端に紹介し、岡橋も終始原告本人であるかのように振舞つたのであるが、〈証拠〉によれば、岡橋の年配とその場の状況は被告金庫職員をして岡橋が美代子の夫であると誤信させるに十分なものであつたことが認められる。

原告は、被告金庫が原告の印鑑登録証明書を早期に徴収していれば、原告本人を装う岡橋が原告本人でないことを容易に見抜き得たはずであると主張するが、〈証拠〉によれば、岡橋は昭和二年生、原告は大正九年生で、年令的に一見別人であることを見抜き得るほどであつたとはいいがたい。

(5) 本件契約が従来取引のない者に対して申込後一週間足らずの間に五〇〇〇万円の貸付を行つたものであることは当事者間に争いがない。しかし、これは、美代子が当初から同月末日までに貸出を実行して欲しい旨の申入をしていたこと及び被告金庫が原告の営業状態と本件土地・建物とで十分担保力があると判断したためであることは、〈証拠〉並びに弁論の全趣旨に照らし明らかであり、右認定に反する証拠はない。また、被告金庫が本件契約締結に際し、借入金の使途とされた購入土地の調査や売主への確認等の手続をとつていないことは、被告金庫において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきであるが、右に述べたとおり、被告金庫としては、本件土地・建物に担保権を設定することによつて本件貸付金の回収に危惧はないものと判断していたものであり、長崎県にある購入土地についてまで右の調査・確認の手続をとらなかつたことを非難することはできない。更に、〈証拠〉によれば、被告金庫は本件契約の連帯保証人とされた粟野和夫に対し保証の諾否の問合せをしなかつたことが認められる。しかし、この点についても、被告金庫が本件土地・建物に対する担保権で十分であると判断していた前記事情を考えると、これをもつて被告金庫の過失と認めることはできない。

判旨(8) 以上(1)ないし(5)において判示したところに基づいて判断するに、被告金庫は金融機関であるから、借主の代理人と金融取引を行うにあたつては、代理権の確認について一般人の場合よりも高度の注意義務を負うものと言うべきであるが、本件契約においては、代理人と称する美代子が原告の実印を所持し、これを押捺した必要書類や、その印鑑登録証明書及び本件土地・建物の登記済証等を被告金庫に提出したこと、被告金庫担当者は本人たる原告の意思確認をとるよう努めたといえること、それにも拘らず、荻原、岡橋及び美代子らが詐欺罪によつて有罪判決を受けるほど巧妙な替玉偽装工作を行つたため(右有罪判決を受けた事実は成立に争いのない甲第七号証によつて明らかである。)、結果的には原告に直接意思の確認ができなかつたのであるが、被告金庫担当者に右偽装工作を見抜くことを要求するのは酷な状況にあつたと認められること(一般に妻が本件のような替玉偽装工作を行うことまでを予想してそのための特別の確認措置をとるべきが当然であるとはいいがたい。)、更に、契約の内容又は借入金の使途等に関しても、美代子が原告の代理人として本件契約を締結することに疑義を生ずべき特段の事情は認められないことなどを総合考慮すると、本件において被告金庫が本件契約締結に際し美代子の代理権を信じたことについては正当な理由があるものというべきである。

(四) 右(一)ないし(三)のとおりであるから、権限踰越による表見代理を主張する抗弁4は理由がある。

三むすび

そうすると、請求原因第二項記載の各登記は有効な本件契約に基づいて経由されたこととなるので、原告の被告金庫に対する請求は失当として棄却を免れない。

第二被告小越に対する請求

一請求原因について

請求原因事実についてはいずれも当事者間に争いがない。

二抗弁について

1  被告小越は、伊藤道夫が同被告の代理人として美代子と本件契約を締結したものであると主張するが、右代理の事実はこれを認めるに足りる証拠はない。かえつて、証人大石及び同伊藤道夫の各証言によると、伊藤は、かねて被告小越から運用を託された資金などを用いて自己の名で独立して金融業を営んでいたもので、美代子との本件契約による貸付も、被告小越の資金を利用してはいるものの、伊藤自身の取引として行われており、伊藤は右資金を別途に被告小越に返済していること、被告小越の本件登記の際に用いられた原告名義の委任状には取引の当事者として同被告の名が記載されているが、美代子がこれに原告の住所・氏名を記入し押印して渡した際には原告の住所・氏名欄以外は白地であつたことが認められる。

2  右のとおりであるから、被告小越は本件登記の原因である根抵当権及び賃借権を有効に取得するに由なく、抗弁は理由がない。

三むすび

そうすると、原告の被告小越に対する請求は正当として認容すべきである。

第三結論

以上のとおりであるから、本訴請求のうち、被告小越に対する請求を認容し、被告金庫に対する請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(佐藤繁 河野信夫 高橋徹)

物件目録〈省略〉

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